With thanks to Yoko Brown, Rika Murota and Ishu Ishiyama
喪主: ジムバーンズの挨拶
本日はご多忙の中,特に海外あるいはカナダ全土から、故中村優美のために遠路はるばるお集まり頂きありがとうございます。
ゆみは私の最愛の人であり、親友であり盟友でもありました。またよき先輩であり私の最大の理解者でした。
私達は一緒に食事を楽しみ、色々な所へ旅を共にしました。
私の人生の大切な伴侶で共に色々な冒険をする仲間であり、私の心の拠り所でした。私の人生に彼女がいてくれてとても幸せでした。
皆様はすでにご存知だと思いますが、彼女はタフで現実的で実用的な人ですが、親切で寛大な人でした。
彼女は家族、友人知人をとても大切に思い、常に周りに気を配る事のできる人でした。何かに困っている時,また迷ってる時はいつも親身になって相談に乗り的確なアドアドバイスと支援とサポートを惜しみなく与えました。
それは彼女の人となりであり、彼女の人格の中心的なものでした。
世界中の不幸や貧困,悪いニュースを見て多くの人が同情し心動かされますが、彼女は自分の信念に誠実で実践的でした。
ゆみはホームレスを見つけた時,デイリーブレッドフードバンクや地元の慈善団体に寄付しました。またユニセフや国境なき医師団などにも寄付をしました。彼女は自分の病気を嘆く事は決してなく,代わりに研究を通じて病気と闘うために癌だけではなく.その他の多くの病気を研究している団体に寄付をしました。
彼女は自分が価値があると思う事に情熱を持って取り組み,その過程で生涯の友人を作りました。
ゆみはカナダ合気道に影響を与えた大きな存在で、師範,先生、各道場の指導者の方々と親密な関係を築きました。彼女は国際的に知られ尊敬されてました。ゲストの何人かはこのことについて話してくれるでしょう。
合気道は彼女の人生でした。病気が体を蝕んでいくと,好きな事、できる事を次第に諦めざるを得なくなりました。ゆみはピアノ、書道,旅行,友人への訪問、レストランへ行く事,公園の散歩などから徐々に遠ざかっていかねばなりませんでした。
でも彼女は道場に上がれる事ができなくなった最後の日まで合気道から決して離れる事はありませんでした。12月のトロントで行われた合気道セミナーに参加する事を決意し、それが最後のセミナーになると言い続けていました。道着を着て道場にたち、仲間と稽古、話しをし,生徒のヴィラドの黒帯審査を見届け,両道場の新しい初心者の稽古の確認をするつもりでした。しかし彼女の強い意志力でさえ十分ではありませんでした。それはゆみの追悼セミナーとなりました。
本日は彼女の人生のあらゆる側面からの友人達がここに集っています。
私が紹介したい最初の方は合気道本部道場師範,合気道の国際的な指導者であり,またカナダ合気道連盟のテクニカルディレクター(主任師範)であられる大澤勇人師範です。
ゆみは大澤師範のカナダ訪問をお手伝いをし,同師範の滞在が楽しく又円滑に指導ができるよう、師範と密に連絡を取り合いたゆまぬ努力をしてくれました。そして何年もかけて暖かい関係を築きました。大澤先生は今日私達と共に中村優美を偲ぶ会に参加する為に日本からお越しくださいました。私の感謝の気持ちは言葉ではとても言い表せません。
大澤先生です。
弔辞
大澤勇人 師範(8段)
CAF テクニカルディレクター(主任師範)
12月の初めにゆみさんから電話がかかってきてずっと心配しておりました。
ゆみさんは入院したとの事でした。
ゆみさんは私の事をとてもよく見ていてくれ、彼女がいる時私は楽しく教え稽古ができました。私達の間に繋がりがあると感じていました。
ゆみさんとの関わりは2011年の7月頃河原先生がお亡くなられた後に始まりました。彼女は私にトロントに教えに来てくれませんかと電話をくれるようになりました。
私はカナダで10年以上教えてます。それができたのはゆみさんのお陰です。
彼女は意志が強く、優しくて暖かい心を持っていました。
私はゆみさんに沢山の質問をしました。
ときどき彼女は「先生、ゆっくり。時間をかけてゆっくりやりましょう」と言ってくれました。由美さんは私によいアドバイスをくれました。
私はCAFとの関係を今後どうしたらいいのか彼女に尋ねました。
12月2日の電話の中で,彼女の最後の言葉は「これからも私達の事を見守ってください」でした。私は「はい」と答えました。これからもCAFの指導を続けたいと思います。
大澤先生、ありがとうございました。
カナダ合気道連盟審査委員会はゆみにとって非常に重要なグループでした。彼女は合気道の技術的な水準を維持する事に尽力し,設立当初からこの組織を無条件に支持しました。委員会の同僚なら誰でも由美が私達の活動に与えた影響について喜んで話してくれると思います。
日本の大阪合気会での初期の頃の稽古時代にまで遡って由美を最も長く知っている石山一舟先生にスピーチをお願いします。
石山一舟 師範(7段)
CAF 審査委員
バンクーバーウエスト合気会 道場長
私達の友人であり同僚でもあったカナダ合気道連盟の中村優美師範(7段)を偲んで弔辞を話す機会をいただきありがとうございます。
中村先生と私は30年以上にわたる親しいお付き合いがあり、私達は10年以上の間、共にカナダ合気道連盟の審査委員会のメンバーとして密接に仕事をしてきました。
私達はもともと日本出身なのでお互いによく日本語で話をしていました。また、カナダ合気道連盟の初代のテクニカルディレクター(主任師範)であった故・河原先生を通して私たちはカナダに来る前からの繋がりがありました。彼女は河原先生のお気に入りで、最も信頼されていた弟子の一人で,先生はいつもトロントでゆみさんと夫のジムさんに会うのを楽しみにされていました。
カナダ合気道連盟の審査委員会のメンバーとして,中村先生は黒帯の審査の実施や審査結果についての話し合いや、審査委員会の方針や手順や技術的な基準の見直しの作業において重重要な役割を務めてくださいました。また現在の主任師範である大澤師範との連絡係を10年以上勤めてくださいました。審査中に小柄な女性が大きな力強い声で皆に指示を与えていた事を覚えている方も多いと思います。彼女は自分の率直な意見を述べつつも、受験者の一人ひとりに対して温かく気遣っていました。
私たち審査委員の会議で、彼女が何年も前の話し合いの詳細を思い出す能力に私はいつも感心していました。「どうしてこんなことまでちゃんと覚えているのだろう」と。中村先生はまさに先頭に立って組織をリードするかなめの存在(キング・ピン)でした。あえて言えば「クイーン・ピン」とでも言いますか、重要な存在でした。長年に渡り私達の委員会の円滑で生産的な活動に寄与されました。審査委員会として、私たちは彼女の献身的な働きに負うことが大でありました。
中村先生が逝去される数週間前に、電話で私たちのそれぞれの健康や年を重ねる上でのチャレンジについて語り合いました。その中で彼女は人為的な医療の介入によって生命を保つような計らいはせず、自然な流れの中で死んでいくことを望む、と言いました。その言葉はドラマチックでも感情的な発言でもなく、あたかもレストランで食事を注文しているような穏やかで事実を述べるような響きを持っていました。
ご存知の通り、中村先生は最愛の夫ジムさんとカナダ国内の彼女の友人や生徒さんに囲まれながら、フルに充実した人生を送り楽しんだ方でした。そして、戦ったりあらがうことなくご自分の命の有限性を受け入れ抱いて生きる方でした。どのように自分の健康状態の悪化と避けることのできない自然の流れとしての自分の死に直面し、華麗にそして勇敢に向き合いつつ平和な心でいることができるのか、を私たちに示してくれました。ほほえみと共に、です。
中村先生自身がカナダの合気道のコミュニティーへの贈り物であったといえます。彼女は誠実な人であり、そして人生の最後まで皆に感動を与えてくれる合気道の指導者であり、その実践者でありました。このたび私たちが直接あるいはオンラインで一堂に会して彼女の歩んできた人生を祝し、参加者がお互いに逸話や気持ちを分かち合う、という忘れがたき機会を作ってくれた、ということは、彼女の私たちへのお別れの贈り物の一つのように思います。
ありがとう、中村先生。あなたの一個人として、そして合気道家としての感銘すべきありよう、行い、生き方を示してくださって。畳の上や我々の集まりの場であなたの姿を見ることはできなくなりましたが、われわれカナダ合気道連盟は深い尊敬と感謝の気持ちとともにあなたのことを懐かしく思い浮かべることでしょう。あなたの存在は私たちの心の中にあり、私たちはそれをこれからも感じ続けることでしょう。
ジムさん、最愛の妻そして人生のパートナーを失いご自身の深い失意と悲嘆の最中にありながら、このように細部にわたる気配りでもってこの会を準備していただいたことに感謝申し上げます。皆様、ご清聴ありがとうございました。
石山先生、ありがとうございます。
次にカナダ合気道連盟の会長,カルガリーから来てくれたスティーブ・エリクソンにひと言お願いします。彼とゆみは古からの深い付き合いで,彼女は長年カルガリーの彼の道場でセミナーで教えており,スティーブは彼女からの教えや援助,彼の生徒たちに与えた大きな影響について私によく話してくれました。
スティーブ・エリクソン 指導員(6段)
CAF 会長
ビックロック合気会 道場長
本日ここに立ち、お話しする機会をいただきありがとうございます。私は中村優美先生と長く親しくお付き合いでき,彼女の愛と知恵にふれられた事に感謝し、とても幸運に思います。
ジム先生がおっしゃられたように,現在私はカナダ合気道連盟の会長を務めています。私の決定は多く人々に影響を与える立場にあり,ユミ先生はいくつかの決定の導きをしてくれました。とても感謝しています。
道場の運営者として彼女は私の人生に不可欠な存在でした。
河原師範が亡くなられた時、私は途方に暮れ方向性を見失っていました。
その頃、私たちが大澤先生と関係を築くために、支えてくれる人たちが現れました。私にとってユミ先生はそのグループの先頭にいました。彼女は私、私たちのしている事は大切で意義のある事だと支援、支持してくれました。
彼女は河原先生が亡くなってから1年後の2012年に初めて私の道場を訪れ、それは2024年までの間、毎年訪問しセミナーで教え続けました。長年にわたり、彼女は私と私の若い生徒たちと特別な関係を育みました。そして、若い女子生徒がこの秋に黒帯審査を受けた時、私はそこで彼女の教えを見ることができ、感慨深いものを感じました。
彼女の教えは、世代から世代へと受け継がれていくことでしょう。私たちはいつまでもあなたの事をわすれません。
ありがとう、スティーブ。
合気道天道会について少しお話ししたいと思います。
その道場は、生涯の夢と努力の集大成でした。
道場の名前「天道会」は、彼女のビジョンを完全に捉えています。「天」は天、「道」は道、「会」は協会を意味します。つまり、「天の道」です。
合気道天道会の道場長として彼女の後継者でもあるロブ.キャロルにお話しをお願いします。
ロブ・キャロル 指導員(6段)
合気道天道会 道場長
ありがとう、ジム。本日はここに集まられた合気道コミュニティの多くの方々、長年の知り合いの皆さん、そして他のつながりのあるユミの友人たちに感謝と共にお会いできてうれしく思います。
私がユミと出会ったのは1983年、トロント合気会に入会した時でした。
合気道に関係のある皆さんは、よくご存じだと思いますが、彼女は合気道に常に関わり、あらゆるセミナー、イベント、そして道場の多くのクラスに出席していました。
初期の頃のセミナーでは、彼女は師範の通訳をよく務めていました。
私は合気道天道会についてお話しさせて頂きます。
天道会は1992年に始まりました。トロント合気会出身の少人数のグループが、新しい道場を作ろうというユミの考えに賛同しました。当初は、コミュニティセンターでクラスを開催し、他の利用者とスペースを共有していました。センターのレスリングマットを使用し各クラスの前に出し、後にマットを片付けていました。
その後、別のコミュニティセンターであるユニバーシティセトルメントに移転しました。そこには私たち専用の稽古場があり、畳を常設することができました。とても良い環境で長い間そこで稽古をしましたが、最終的にはその場所も離れなければなりませんでした。
2010年に、現在のダンダスとオンタリオ通りの建物に稽古場を移転することができました。多くの人々の共同作業で道場が成り立ちました。
合気道がどのようなものであり、道場がどのような環境であるべきかという彼女のビジョンと彼女の努力と決意こそが、今の天道会の基盤になりました。
彼女は、真面目に稽古に取り組み、レベルや経験に関係なく、全ての参加者が敬意を持って扱われる空間を作りたかったのです。道場は厳しい環境かもしれませんが、決して威圧的な環境であってはなりません。稽古が人々の生活にプラスの力となる環境です。
長年にわたり、ユミは天道会とその全てのメンバーに深く関わり続け、親密な関係を築きました。ジムと一緒に、夏のバーベキューや冬のクリスマスパーティーを何度も主催し、誕生日を祝い、生まれたばかりの赤ちゃんにプレゼントを贈ったり、両親や家族の死を悼んだりしました。
彼女は新しい生徒を非常に大切にし、長年、初心者クラスと子供のクラスを教えていました。
ユミは、CAF の初代テクニカル ディレクター(主任師範)である河原先生と緊密な協力関係を維持し、現在のテクニカル ディレクター(主任師範)の大澤先生にも引き続きサポートを続けました。
彼女は、道場が常にこの方針に従うようにし、道場の範囲を超えた稽古を少しでも経験できるように、生徒が主要なセミナーや夏合宿に参加するよう奨励しました。
天道会は 32年の歴史の中で会員数を増やしてきました。生徒や元生徒が離れていった後も、多くの方が連絡を取り合っています。今日は皆さんの多くがここにいらっしゃいます。連絡を取り合っている人々は、ユミが築こうとしていたコミュニティに参加し続けています。彼女にとって道場は神聖な場所でした。
彼女が尽力したその伝統を今後も築き上げていきたいと思います。ありがとうございました。
ありがとう、ロブ。
ゆみと合気道北龍会についてお話ししたいと思います。彼女は30年以上前に私と一緒にその道場を共同設立しました。北龍会の生徒も彼女にとって大切な存在で、彼女の厳しい指導の下で稽古をしていました。
私は准指導員の一人であるヴァディム・カチェロフスキーにスピーチをお願いしました。彼とは家族ぐるみでお付き合いしていた友人でもありました。私たちはよく一緒に旅行や合気道のセミナーに行きました。ゆみが日本ツアーに彼を連れて行った事や、彼が私達の為に企画してくれた彼の故郷ベラルーシへの旅行をどれほど楽しんだか、言葉では言い表せません。
彼女とヴァディムの関係は、道場を超えて私生活の一部になる、合気道の多くの友人の代表だと思います。
ヴァディム・カチェロフスキー 3段
合気道北龍会 準指導員
ジム先生、本日はここで話せる機会を頂きありがとうございます。
私は初めて受けた合気道のクラスを覚えています。参加したのではなく、見学に来たのです。そしてクラスが終わる頃には、自分も参加しようと決めていました。そのクラスを指導していたのはユミでした。もちろん、教えられた技は何も覚えていません。印象に残ったのは、クラスの教え方です。その時、私は自分の先生と道場を見つけたと分かりました。
私を含め、北龍会道場の全員がユミ先生の指導を受ける事ができ幸運でした。
ユミは素晴らしい人で、出会った中で最も親切な人であり、また非常に要求が厳しい人でした。新しい技を学んでいる時は忍耐強く、勝手なまた間違った事をしていた時は厳しさも持ち合わせていました。
道場で生徒を指導することが彼女の天職でした。彼女は道場の生徒全員、特にロブが言ったように初心者のことをとても大切に思っていました。彼女は彼らが安全に練習できるようにし、ほんの少しでも進歩するよう常に励ましてくれました。信じてください、私は経験から話しています。
彼女は、励ますような方法で間違いを指摘する並外れた能力を持っていました。私が白帯だった時、ユミ先生がクラスを教えていて、次々とテクニックを実演していました。私は完全に混乱し、何が起こっているのか、何をすべきかわかりませんでした。ユミ先生は私の横に立ち止まり、数分間私を見た後に言いました。「ヴァディム、あなたは本当に記憶力が良いわね。前のテクニックをまだやっているわね。」
彼女は誰もが稽古の喜びを共有できるように配慮し、稽古の後は疲れてくたくたになります。でも、あなたはいつも幸せそうでした。私はいつも彼女のクラスと彼女の教えを楽しみにしていました。
ユミ先生は、揺るぎない意志と不屈の精神を持っていました。そして、最期の日々でさえ、彼女は冗談を言い、笑顔を浮かべ、次のステージをまったく恐れていませんでした。
彼女は指導者であり、私たちのインスピレーションでした。数世代にわたる合気道家にとってのモチベーションでした。彼女の影響は、道場だけでなく人生においても、私たちの多くを形作り、導いてくれました。
ユミ先生、あなたの思い出と精神と教えは、私たちの心の中に永遠に残ります。
ありがとう、ヴァディム。
次に話をするパット・オルソンは、カナダの合気道コミュニティーにてとても有名な人ですが、私は彼女にゆみとの友情について話してほしいと頼みました。何年も前にセミナーで出会って以来ずっと親友であり続けました。彼女らはセミナー、旅行、そしてケロウナあるパットの美しい山小屋への多くの訪問、そしてオカナガン渓谷のツアーなどお互いの付き合いを楽しみました。
パッド・オルソン 指導員(6段)
親しい友人
ジム、ありがとう。ここで皆さんにお会いできて来てとてもうれしいです。そして、特に天道会、北龍会、ジムにお悔やみ申し上げます。
大澤先生が私に、ユミさんとはどんな関係ですか?先生ですか?友達ですか?と尋ねた事がありました。私は両方ですと答えました。今は友達として話しているので、今日はユミとだけ呼びましょう。でも、道場ではいつもユミ先生です。
私は若先生(合気道三代目道主)が指導に来られた1991年のサマーキャンプで彼女に出会い、沢山の合気道の方々とそこで知り合いました。
そして2008年に大澤先生のセミナーに参加し、とても影響を受けました。
皆さんが、これからも大澤先生の夏合宿やセミナーに参加して学んでくれることを私は願っています。
私はブリティッシュコロンビアの湖畔の家に住んでいて、ユミとジムがよく遊びに来てくれました。私は少し水が怖いですが、ユミは水が大好きで,いろんな水遊びをして楽しんでました。
ユミと一緒に旅をしたバハマで彼女は私にシュノーケリングを教えてくれました。そして、他の友人が彼女のカヤックについて話すと思います。
彼女は歩くのも大好きで、一緒にBCの山道を歩き回り、よくBCの内陸部を訪れました。
私たちは第二次世界大戦の強制収容所を訪れました。場所はニューデンバーで、そこには博物館があります。
最初の住民は小さな600平方フィートのバンガローを建て、2つの家族がバンガローを共有していました。つまり、半分は1つの家族、残りの半分は別の家族が使用していました。これらのバンガローは1940年代に作られて、まだそこにあります。すべて異なるデザインで、その建築技術に私達は感銘を受けました。
私がこの話をしたのは、今日は希望と喜びについて話すので、私は泣かないとジムに約束したからです。収容された日系人達は、ブリティッシュコロンビアの山岳地帯にあるクーティーニー山脈の中に、過酷な状況にもかかわらず美しい場所を作ることができたのですから。
彼女の書道について少し話したいと思います。ユミは書道の金賞を受賞したとき、とても喜んでました。彼女は私に2枚の書道作品をくれました。もうすぐ旧正月です。中国人は少し迷信的です。この文字は幸運を意味します。だから、この文字が旧正月の時期にはあちこちに見られます。
私はこれらの書のうちの1つを私の仲間の弟であるイヴァンに渡します。これは「気」なので、イヴァンに進呈しようと思います。いつかイヴァンは師範になり、これを見るたびにユミの事を思い出すでしょう。
ユミが私の家に来た時、彼女はよくピアノを弾いていました。彼女は60代でピアノを習うことを決め、タブレットに弾き方を教えてくれるアプリを入れていました。彼女はベートーベンの歓喜の歌を弾くことができ、最後の年には、日本の作曲家の演奏を習っていました。彼の名前は辻井伸行、盲目のピアニストで作曲家です。彼は「地震と津波の犠牲者のためのエレジー」を作曲しました。それは2011年の事で、河原先生が亡くなり、大澤先生が来られた年でした。
このエレジーはとても美しいです。合気道では動きを見ますが、音楽では動きを感じることができるので、機会があったら是非「盲目のピアニストが地震と津波の哀歌を演奏」を調べて聴いてみてください。
伸行はこれをイ短調の小調で作曲し、非常に暗い、そして少し悲しく、「なぜこの地震が私たちに起こるのか?」と疑問に思い、希望と喜びに満ちた音Aメジャーで終わります。
ユミが大澤先生に「私達を見守ってください」と希望の音、言葉を残しました。ユミ、ありがとう。ジム、ありがとう。
パット、ありがとう。
由美の生徒の多くは、夏の間由美が数日間姿を消し、後に北部の美しいコテージでリラックスしてカヤックに出かけた事を覚えていると思います。
次のスピーカーであるダグ・バーンとイングリッド・アイルブラハトは、合気道とは関係ありませんが、由美の親友の一人で、マスコーカで私たちをホストし、トロントで定期的にエンターテイメントや食事に参加したり、ハイパークで散歩したりしていました。
イングリッド・アイルブラハト
ジムさん、ありがとうございます。ユミと知り合えたことは本当に幸運でした。彼女は私たち全員にとっての贈り物でした。そして、彼女について話せることを光栄に思います。
私がユミと初めて会ったのは、2013年に私が退職した後でした。ジムと私は長年仕事仲間でしたが、ようやく私が退職し、ペリーサウンド近くのジョージアン湾にあるコテージで夏を過ごす事ができるようになったので、彼らをコテージに招待することにしました。
彼らは長年にわたり、定期的に頻繁に訪れるようになり、親しいよき友となりました。
最初から、ユミが特別な人だとわかりました。彼女はいつもとても忍耐強い人でした。例えば、私たちがデッキでパーティーをしても文句を言わず、ダグ、ジム、そして私がビールを何杯も飲み、50年代、60年代、70年代のお気に入りのロックンロールの曲に合わせて大声で下手な歌を歌っていた時も、ロッキングチェアや長椅子に座って笑っていました。
彼女はただ我慢強いだけではなく親切で面倒見が良い人でした。彼女はとても地に足が着いた実践的な人で、ただ口先だけで話すのではなく、実際に行動する方法を知っていました。
私達のコテージは古い木造で岩の上に建っていて、湾までは60フィート未満です。水にとても近いので冬には風や雨、雪や氷で水が吹きかけられ、建物も濡れてしまいます。その為、毎年ペンキを塗ったり、着色したりしなければなりません。大変な作業です。
ある年、私たちはこの仕事をしなければならないと文句を言っていましたが、ユミはすぐに手伝うと申し出ました。「ジムと私が手伝います」と彼女は言い、彼らは実際に手伝ってくれました。お陰でそれは大変でつらいものではなく、楽しい経験になりました。そして、他の友人は誰も手伝ってくれなかったことを指摘しておきたいと思います。家族も手伝ってくれませんでした。
私達の為に彼女が明るく、実用的で親切に尽力してくれたことが恋しくなります。
ジム、これからはあなたが2倍の仕事をしてくれる事を願っています。
彼女の親切で実用的な性格のもう一つの例は、私の母は2年前97歳で亡くなるまで、夏の間私たちと一緒に住んでいました。母は年を取るにつれて、関節炎が痛みを伴い衰弱していきました。ユミは何をしてくれたと思いますか?彼女は頼まれもしないのに、母に脚のマッサージを施し、母がよく眠むれるように手助けをしてくれました。母はユミを敬愛し、彼女の訪問を心待ちにしていました。そして、ユミ自身が癌治療でますます疲労し衰弱し始めたときでさえ、彼女は母に癒しのタッチという贈り物を与え続けました。
ユミは今を生きることの大切さを理解していました。彼女は完全に地に足がついていました。
散歩に行くような単純な事でも、私達が小道を前向きに歩いていると、突然、彼女は振り返り、同じ方向に後ろ向きに歩き、微笑み、笑いました。素早く、足取りは確かで、ためらいはありませんでした。まるで頭の後ろに目があるかのように、一歩ずつ後ろ向きに。
彼女は存在することの喜びを一滴残らず絞り出す方法を知っていました。ただ存在することです。痛みと衰えゆく体力の真っ只中であっても、彼女は決して文句を言いませんでした。彼女はいつも前向きで否定的なことは決して言いませんでした。
彼女が私達と過ごした最後から2番目の夏の素晴らしい思い出をお話ししましょう。
ダグと私は一緒にカヌーに乗り、ユミはカヤックに乗っていました。よく晴れた青空の日でした。空は青く、水は青く、雲ひとつなく、明るい太陽が岩や水、木々のいたる所に輝いていました。そして静かでした。カヌーで彼女のカヤックの傍に近づき始めた時、彼女が水面を滑るように進みながら、静かに小さな声で歌っているのが聞こえました。それは魔法のようでした。
彼女自身のようにマジカルでした。彼女の友情は贈り物でした。
ユミ、私の友達でいてくれてありがとう。あなたの美しい魂がいつも天使たちと歌っていますように。
ダグ・バーン
ありがとうございます。
日曜学校でのことはよく覚えていませんが、自分がしてもらいたい事を他人にもしてあげなさいというアドバイスは覚えています。そして、このことは、イングリッドと私がジムとユミと一緒に昨年 1 月にキューバで短い休暇を過ごしたとき明白になりました。
ユミは、何度も訪れていたグアルダラバカのパラディサス リオ デ オロ リゾートのスタッフ全員を知っていて、彼らもユミを知っているようでした。ユミがスタッフを知っていたのは、ユミがスタッフと知り合いになり、彼らの生活、彼らの願望、問題について尋ね、共感しようとしていたからです。
ある日、ユミがメイン ダイニング ルームでの朝食に遅れて参加したのですが、マネージャーから給仕スタッフ、オムレツ シェフまで、全員が心配して「ユミ、エスタ ビエン?」と尋ねました。
毎晩のフロア ショーやリゾートのナイトクラブ、ハウス バンド、ゲスト ミュージシャン達にとって、ユミほど素晴らしい友人はいないと思いました。ダンサーは常に観客と交流し、歌やダンスに参加させようとするのですが、彼女は真っ先に祭りに参加し、笑顔で他の人に熱心に勧め、一人で座っている人に立ち上がって一緒に踊ろうと誘うほどでした。
「その人はいつも私をより良い人間にしようと刺激してくれた」という言葉があります。まさに私にとってユミはそうでした。
ありがとう、ダグとイングリッド。
ここに来られなかったり、人前で話すのをためらったりする人もいるので、私は彼らの代わりに少し話したいと思います。
書道、つまり日本の書道は、由美が芸術的な側面を表現することを可能にしました。
書道のクラスメートの一人であるキャシー・タマキが説明するように、書道は精神的かつ芸術的な鍛練であり、今日の日本文化の伝統的な一部です。
キャシー・タマキからのメッセージ:
「ユミは書道が大好きでした。長年、日系カナダ文化センターのクラスに通っていました。コロナ禍でも彼女の書道への熱意は衰えず、書道クラスのZoomのプラットフォームができると、すぐに参加しました。誰もが予想した通り、ユミは書道で非常に優れた才能を発揮しました。彼女は2022年カナダ日本書道コンクールで念願の金賞を受賞しました。(賞と受賞した掛け軸はここに展示されています。)
私たちの先生である前田典子先生は、ユミの忍耐力と素晴らしい前向きな姿勢を覚えています。
私たちは皆、ユミの努力と熱意に刺激を受けました。そしてユミはいつもクラスメートに優しい励ましの言葉をかけてくれました。
私達は彼女の気使いと周りを和ませる笑顔,そして彼女がどれほど書道を楽しんでいたかをいつまでも忘れません。彼女が私達のクラスにいてくれて本当に幸運でした。彼女がいなくなるととても寂しくなります。」
ゆみは世界を旅する人で、新しい場所を巡るのが何より好きでした。
キューバは彼女が30年間、1年も欠かさず旅をし、時には2度行く程愛した場所です。グアルダラバカ近くのお気に入りのリゾート地に行き始めたとき、ジェニファー・ハーディと出会いました。
残念ながら今はウイルスの季節で、ジェニファーは昨日、体調が悪くて出席できないと連絡がきました。彼女に代わって彼女の弔辞を読みたいと思います。
ジェニファー・ハーディからのメッセージ:
「私がユミとジムに出会ったのは10年以上前、私たち3人が同じ夜にキューバのリゾート地に到着した時でした。私はいつも一人で旅をしていました。率直に言って、他の人と一緒に旅をするのは疲れるからです。
ユミとジムで会って、私はその考えが変わりました。オリエンテーションセッションで、ユミと私は2人ともカタマラン旅行に行きたいと、一緒に行くことになりました。それが私にとって非常に大切で美しい友情の始まりでした。
私達はその旅行で絆を深めました。私は毎晩、夕食とショーに一緒に参加していましたが、次第に朝食や昼食、スパにも一緒に行くようになりました。
そして、私たちの恒例行事が始まりました。私は、2人がキューバに向かう時期に合わせて休暇を取り始めました。ついに、一緒に旅行できる人を見つけたのです!
トロントに戻ってからは、私たちの友情はギリシャ料理、韓国料理、キューバ料理のレストランでのディナーにまで広がりました。
ユミは私のヒーローでした。彼女の生きる喜び、並外れた共感力、そして素晴らしいユーモアのセンスは、永遠に私を刺激し続けるでしょう。
ユミは私に多くのことを教えてくれました。森林浴やシュノーケリングで魚を誘う最良の方法を教えてくれましたし、どのレストランが特定の日にロブスターを出しているかを彼女は常に知っていました。彼女は私に合気道の哲学を紹介してくれました。彼女はいつも喜んで虫除けを配ってくれ、私のマスクとシュノーケルを直してくれました。
私たちはキューバ音楽への強い愛を共有していました。私達のリゾートのスタッフは、彼女を見るとただ明るくなります。ユミを知ることは彼女を愛することでした。
そして彼女は恐れ知らずでした。彼女が診断されてから数年後のある日、ビーチで彼女と交わした会話を覚えています。私は彼女に怖いかと尋ねました。彼女は絶対的な確信を持って「いいえ」と答えました。彼女は死後の世界にはもっと何かがあると信じ、それを壮大な冒険と見なしていました。
私の人生に彼女がいてくれたことにとても感謝し、本当に幸運でした。逆境に立ち向かう彼女の優雅さと強さは大きなインスピレーションであり、彼女がいないと私の世界は空虚になります。ユミは私に、ジムとの旅と友情を続けるように何度も言いました。彼女の唯一の心配はジムでした。彼女は彼に孤独になってほしくなかったのです。ユミ、あなたは私たちの心の中に生き続け、これからも一緒に旅をするでしょう。」
職場の友人も何人かここにいます。
由美はX線技師として非常に尊敬されていました。彼女は自分の経歴について少し話してくれました。
彼女は京都にある最も権威のある放射線研究所の1つを卒業していました。そこではノーベル賞を受賞した物理学者が講義を行うこともあったそうです。彼女が論文を発表した国際的な放射線学の主要出版物への言及を見つけましたが、彼女は私にその事については一度も話しませんでした。
彼女のキャリアにおいて重要だったのは、人々を助け、交流することだったと私は知っています。それが彼女にとって重要だったのです。つまり、人との接触です。
家に帰ってからトロント・リハビリテーション研究所のスタッフとの仕事の話を、彼女が話すのを、聞いていた事を覚えています。
それが彼女の仕事人生におけるハイライトでした。とても結束の固いグループで、私が彼らと一緒にイベントに参加した時、彼らがお互いに深い愛情と尊敬を抱いているのは明らかでした。
今日、彼らの何人かがここにいてくれてとても嬉しいです。
由美は非常にスピリチュアルな人でした。彼女は、合気道の創始者である大先生とほぼ同時代の先見の明のある谷口雅春先生の教えを熱心に学んでいました。
彼女は、緩和ケアの最期の時でさえ、死を少しも恐れていませんでした。最後の日、彼女はまだ病院のベッドで訪問者に喜んで挨拶していました。
彼女がとても苦しんでいる事はわかっていましたが、私は彼女が不平を言うのを一度も聞いたことがありません。
彼女は一度も「なぜ私なの?」と尋ねませんでした。彼女はそれが自分の運命であると単純に受け入れていました。
彼女は死を終わりではなく、精神的な旅の新たな段階の始まりと見ていました。彼女の唯一の関心事は、残される友人と家族のことでした。
過去に私達が友人と一緒に葬儀に出席した時、彼女は時々スピーチを頼まれました。
その時はいつも、1931年に谷口先生が書いた一節を読みました。彼女はその中のすべての言葉を深く信じ、愛する人の死を悼む人々にそれが慰めをもたらす事を願っていました。それは生と死の意味についての非常に音楽的な見方です。
本日は翻訳からの抜粋で締めくくりたいと思います。
谷口雅春著『永遠の生命の神のメッセージ』の翻訳から:
あなたの肉体は思考の弦で演奏される音楽作品です。
生命が肉体に宿るという考えは二元論的であり、真実ではありません。
適切に言えば、生命は思考の文字列で実行される構成に従って肉体を明示します
すべての人はいつか肉体を失う必要がありますが、死ぬことはありません。
人間は神の子であり、したがって死なないのです。
あなたの一時的な存在の形は、あなたの考えの楽譜によって変わります。
あなたの思考の形で大きな変化が起こると、あなたの一時的な存在は別の世界に現れ、あなたの肉体 – これまであなたの思考の現れ – は急速に崩壊します
人々はこれを「死」と呼びますが、それは死ではありません。
生命が思考の弦で 1 つの音楽作品の演奏を終えて、別の音楽作品に切り替えたようなものです。
最初の音楽作品は必ず終わりを迎え、演奏者はさらに高度な音楽作品を学ばなければなりません。
私が言いたいのは、あなたの地球での人生は必ず終わるということです。あなたの地球での人生はあなたの最初の曲です。
曲を完成させても悲しまないでください。
そうすれば、さらに高い音楽作品に進むことができます。
曲は終わるかもしれませんが、演奏者は終わりません。
演奏者は神の子であり、不死なのです。
由美は死を終わりではなくもう一つの始まりと見なし、人生を音楽作品と見なしていました。
最後に、ご来場くださった皆様に心から感謝し、私たちと共有してくださったスピーカーの方々にも感謝したいと思います。
この時点で、皆様がご自身の信仰に従って個人的に由美に敬意を表す機会を設けたいと思います。そうしたい場合は、部屋の前方に向かって一列に並んでください。
ご希望であれば、お香をたてる事もできます。終わったら、シェパード ラウンジで軽食をお召し上がりください。スタッフがご案内いたします。
お香の香りに副作用がある場合は、もちろん、今すぐ受付へお越しください。